現在の小川町の一帯から始まった「小平」の開拓は、最初に着手された小川村の成功を追うように、小川新田、野中新田、大沼田新田などと次々に広がっていきます。
そのとき、新田開発とともに築かれたのは、やはり小川村同様、寺社でした。
現在の小平市仲町・喜平町・学園東町・学園西町などで開かれた小川新田では、代表的な神社として「熊野宮」が1704年(宝永元年)に鎮座しています。
これは、小川村開拓の祖・小川九郎兵衛の出身地である多摩郡岸村に鎮座していた阿豆佐味天神社(本宮は殿ヶ谷村)の摂社を遷祀したもので、経緯などに諸説がありますが、いずれにしても、1本の巨木を目印にして置かれました。
まずは熊野宮の様子を動画でご確認ください。
動画(41秒)
ご神木「一本榎」を祀る
その巨木とは樹齢数百年を経たという榎で、青梅街道、鎌倉街道(現・府中街道)を往来する人々から「武蔵野の一本榎」と呼ばれ、目印にされていたといいます。
その見事な枝ぶりは百数十間もの日陰を作り、「盛夏の炎天下にあっても絶えず千古の涼風が吹き通っていた」とも伝えられているそうです。
1間は一般的には1.82メートル。100間で計算しても182メートルもの木陰を作ったということになり、やや大仰な気配もありますが、炎天下を歩き続けた人々には、そう見えるほど得難い避暑地だったのでしょう。
その榎の元に遷祀された「熊野宮」は、「一本榎神社」とも称していたようです。
榎は、”縁起の良い木”の意味から転じた樹名ともいわれますし、そもそも、水の乏しい荒野にそびえる巨木は、それだけで信仰の対象になったことでしょう。
ここに神社が置かれたのは、必然のことといえるかもしれません。
現在のご神木は3代目
もっとも、初代の榎は1742年から44年の享保年間に枯れてしまい、2代目は大正3年の暴風雨で倒木してしまっています。
現在、拝殿の裏に立つ榎は3代目の孫木です。「武蔵野の一本榎」の碑の横に、堂々と根を張ってそびえています。
拝殿前の夫婦欅も見事
さて、このように榎が語られる熊野宮ですが、実は今、目を引くのは、むしろ拝殿前の2本のケヤキのほうです。
「夫婦欅」と紹介される樹齢300年ともいわれる2本のケヤキは、榎と共に拝殿を守るようにそびえています。青梅街道から境内に向けて歩いていくと、まるでその社は森のように見えます。
いうまでもなく、夫婦欅は夫婦円満の象徴。大地に根を張った巨木が迎えてくれる「熊野宮」で、活力を得てはいかがでしょうか。
なお、「熊野」にあやかる同宮では、伊邪那岐大神、伊邪那美大神等を祀っています。
データ
熊野宮
◎小平市中町361
◎042-344-0638
◎公式ホームページ